
150年前のフクギ並木を歩きながら、150年先の風景を思う。
まっすぐ空に伸びた木々は、夏の強い日差しを遮り木陰をつくり、木々の隙間からは風が抜け木漏れ日はダンスしながら涼を届けてくれる。
今ある木々は150年前に生きていた人たちが垣根として植えた木々。大きな木の実が落ちたり、葉っぱが落ちたりするのでその掃除の手間暇をかけられて守られてきたもの。50年前、家の垣根だった木々を切り倒しブロック塀にしようという世の流れをくぐり抜けてきた木々。50年前にこれを残した人たちは、どんな思いを持ってどんな未来を想像してそれを選択したのだろうか?
いま、その時代に建てられたブロック塀は、寿命を迎えヒビが入ったり苔を生やしたりする姿があちらこちらで見受けられる。垣根をブロック塀に変える選択をした人にとっては、それが最善で理想的だったはず。50年後の今、ブロック塀と木の垣根との両方の姿を見て、どちらがいい悪いというつもりは全くない。ただ、私は木の垣根の方が好きだと思った。
150年前のフクギ並木を歩きながら150年、そのもっと先の風景を思う。
いま、私たちが時を越えて届けたいものは何だろうか?
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